たまりば

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2007年12月03日

柳川侍従

戦って無敗の男、立花宗茂をご紹介します。知名度は低いですが、人物としてはなかなかどうして、当代一流の品格を持った武将ですね。わたくしの好きな武将の一人です。
宗茂は九州は豊後大友家の二枚看板、高橋紹運の実子にて、立花道雪の養子となり立花性を名乗りました。
九州統一を狙う島津忠長勢五万を相手に一歩も引かず、関白秀吉の援軍が来るまで立花城を小勢で守り抜きました。(実父の高橋紹運はこの時、関白軍来援の時間稼ぎの為に岩谷城だか宝満城だかで忠長勢と1500の手勢で悠々と戦い、討ち死にしております)。
宗茂は実父の死を無駄にせず、関白軍来援に勢いをつけ、撤退する島津軍を追撃してさんざんに蹴散らし、敵城を一つ力攻めで落とす奮闘ぶり。
秀吉は、大友軍が次々と島津方に打ち破られ、寝返りが続出するなかで、父とともに最後まで落ち目の大友家を支えようとした宗茂の忠義と、城を守り抜くに飽き足らず追撃して敵城を落とした剛勇ぶりを「鎮西無双」と絶賛しました。
宗茂は大友家家臣から秀吉の直臣となり、累進して筑後柳川で13万石の大名となりました。
官位も秀吉の斡旋で「従四位下侍従」となりましたが、宗茂は「旧主の大友義統殿(宗麟の息子)がいまだ従五位下であるのにわたくしが四位を頂くわけには参りません」と断ったそうです。
秀吉さんはこういう青年武将は好きでしょうね。
義に篤く、節を重んじ、若くして沈着冷静、かつ勇猛果敢ときたもんだ。
大友のすっとこどっけいなんかの家来にしておくなんて勿体ない。直臣にしたくなる気持ちもわかります。
宗茂さん、マイナーな割には数々のちょっとしたエピソードのある人物です。
またちょこちょこご紹介いたしましょう。
  


  • Posted by せんごく at 13:00Comments(0)