たまりば

日記/一般 日記/一般八王子市 八王子市

つれづれなるままに、思い出した戦国小ネタを気が向いた時に更新します!

スポンサーリンク

上記の広告は、60日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by たまりば運営事務局 at

2008年01月13日

権兵衛

しかし、小ネタというのは意外に難しい…
ちっとも小ネタにならない…

小ネタというより、瞬ネタで行きたい。

そう思う今日この頃。
平野権兵衛長泰。

秀吉の部下で賎ヶ嶽七本槍の一人。

秀吉没後は徳川の家臣となったが、加藤清正亡き後、肥後の大守となった細川忠興と昵懇であった。

忠興は権兵衛の身振り手振りを交えての武勇伝を聞くのが大好きで、よく酒を飲みながらかたらった。

あるとき忠興は権兵衛に録(給料)はいくらなのかを問う。

権兵衛が五千石だとわかると忠興は、
「なんと、たった五千石か。権兵衛、どうじゃ。余に仕えぬか?三万石出すぞ」

万石取りだ。陪臣とはいえ、大名扱いになるのだ。賎ヶ嶽の同僚達は皆大名だ。権兵衛にとっては夢の出世。

ところが権兵衛は、無造作に立ち上がると縁側まで行き、庭に向かって小便を放った。そして、
「忠興殿のお言葉誠に忝ない。ただ高録を頂いてしまいますと、このように自由に小便も出来ぬようになりますので…」

半分は同僚への反発でしょう。
賎ヶ嶽の同僚、福島正則は安岐広島で四十九万石、加藤清正は肥後五十四万石、加藤嘉明は会津四十万石。
大大名に出世してゆく同僚の傍ら、自らはいつまでもたっても旗本止まり。今更三万石を貰って…

権兵衛は媚びへつらうことが苦手な豪傑肌なだけに、主君の秀吉にもあまり快く思われてないふしがあったようです。

今更という気持ちと、我が道を行くという意地があったのでしょう。
まぁ、人にはその人にあった「生き方」があるというもので…


だから長いって!
  


  • Posted by せんごく at 21:39Comments(0)

    2008年01月07日

    無欲?

    まったくちょいねたにならなくて三千里…

    さて、竹中半兵衛重治。ご存知、秀吉に天下を取らせた男。

    ちょっとした疑問。

    こやつ、秀吉さんの味方になる前は美濃菩提山城で1万石を領してたとか、なんか本で読んだことあった気がするのですが…、ちょっと待てよ。

    まだ木下藤吉郎と名乗っていた頃の秀吉よりも断トツの給料とちゃいますか?

    秀吉さん、竹中さんを味方に付ける前は足軽組頭で、織田家では下っ端だった。

    更に言えば、当時の織田家で万石取りの武将はいません。

    竹中家、どんだけでかい土豪なんだと。

    織田の直臣になって給料が何百分の一になったんだか。

    秀吉の人柄に惹かれたのか、長いものに巻かれたのか、私は前者の方がロマンがあって好きですけど。

    日本版三顧の礼ってか。

    まぁそもそも一万石ってのがわたくしのとんだ勘違いであったら恐縮の次第。
      


  • Posted by せんごく at 00:01Comments(2)

    2008年01月01日

    明けまして、信長公。

    なんだかいつも長い…
    ちょいネタを求めて更に更に三千里。

    秀吉さんの部下で美濃川並衆出身の前野長康。
    その長康箸「武功夜話」。伊勢湾台風の時にひょっこりみつかった資料とか。

    信長が芋汁を「うまいうまい」とバクバク食べた、とその資料に載ってるとか。長康達が献上したらしい。

    信長さんはやっぱり、野趣深い料理がお好きなんでしょうかね。

    天下を支配した阿波の三好家お抱えの料理人に料理を作らせたところ、信の旦那は「まずい…貴様死ねぃ」と。
    料理人には料理人のプライドがあり「もう一度作らせてくれ。それでマズけりゃ煮るなり焼くなり好きにしろい」と。

    そして作り直した料理に、信の旦那はご満悦。
    後にこの料理人は、「信長はやっぱり田舎大名だ。最初に作った料理は京の公家風に味付けしたものよ。そのあと出した料理は地方の田舎料理だ」と。

    ちと負け惜しみに近い言い分ではありますが、まぁ、信さん、珍味などよりも意外に質素な料理が好きだったんじゃないすかね。
      


  • Posted by せんごく at 21:09Comments(0)