たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

2007年11月11日

石高制って

戦国時代も末期になると、土地の広さを石高(こくだか)で表すようになりますが、その侍が、何石取りの侍なのかどうかでその人の地位や実力がおおよそわかります。
例えば一万石の領土があるとすると、250人の動員兵力があると考えられています。一万石以上の侍は大名(だいみょう)と呼ばれます。
ちなみに、1石は人間一人が一年間で食う米の量のことです。
当時は侍の恩賞=土地でしたから、戦国の武士は一寸でも多くの領土を増やすのに躍起になりました。
それはともかく、一万石で250人だとすると、100万石で25000人の兵士を動員できます。逆に、千石だと25人です。なるほど500石だとさらにその半分。

あたしが個人的にひそかに妄想して楽しんでいるのは、例えば千石取りの侍なら25人の社員を採用してる社長って考え(笑)。
社員が100人くらいの会社なら、4000石取り程度の会社だなと(笑)
そう考えると、今も昔も大名になるのはホント大変だなと(笑)
戦国時代という高度成長期なら、手柄次第でどんどん出世出来ますが、泰平の世では経済が飽和状態で出世もなにもない。
ゴマスリかよほどの努力研鑽があっての加増しか望めないんですね。
関ヶ原合戦の際、柳生旧領3000石の復活を賭けて参戦した柳生宗矩殿、剣法指南役という立場で徳川時代の泰平の世で、大名にまで出世したのはたいしたもんです。二代将軍秀忠の側近というナイスポジションだったからかな。
  


  • Posted by せんごく at 00:51Comments(3)